舞鶴美果:ハロ~、寒さがやっと和らいできて春の気配を感じられる3月。前回、山梨県立博物館の丸尾さんから山梨県内に根付く「道祖神」とその歴史について濃ゆ~い話を聞いて、面白いこと教えてもらったんだよね!

後編はさらに、フカボリしたので読んでみて~(切実っwww)

全2回・後編

舞鶴美果:では、前編に引き続き、またよろしくお願いします!

山梨県立博物館学芸員丸尾様(以下、丸尾氏):はい!こちらこそ!前回は「道祖神」とはなんなのか、そして山梨県内の村で脈々と受け継がれていた「道祖神祭り」や江戸時代に甲府の街中で行われていた「甲府道祖神祭り」についてお話ししましたね。今回は当時の甲府の人々にとって「甲府道祖神祭り」がどれだけ重要なお祭りだったのから、お話しをはじめましょう。

舞鶴美果:そうそう、当時江戸を代表する浮世絵師を甲州商人が招聘して、幕絵を描かせていたという壮大なやつねwww。

丸尾氏:ええ、そうです。甲府の商家大木家の依頼で、甲府道祖神祭りの幕絵を描くため、弟子と連れ立って歌川広重は甲州に長期滞在していました。「幕絵」は幅10メートル以上もある長大なもので、広重はお得意の江戸名所を20枚ほど描いていたと推測されています。甲州を訪れていた広重の旅の記録「甲州日記」という文献が、実は近年アメリカで発見され、当時の甲府の様子や幕絵制作の様子を伝える貴重な資料として残っています。

舞鶴美果:広重の甲州旅の絵日記がアメリカで発見されるなんて!さすが世界的な天才絵師!(´Д` )スゴッ!!それにしても、幕絵って聞く限り相当大きいよね?当時はもちろん印刷技術もないし、キャンバスも絵具も貴重な時代。いくら天才広重と言えど、そんな長大な作品を制作するのは相当大変だったんじゃない?

丸尾氏:本当に、そうだと思いますね。広重にはたくさんの弟子が存在したと言われていますが、広重とそのご一行が甲州に滞在し、長大な幕絵を完成させるために弟子と手分けして描いていたと推測されています。現在唯一存在する「甲府道祖神祭 東都名所 目黒不動之瀧」を調査すると、麻布を五反分横につなぎ、横長のキャンパスに岩絵具を使って描いていたことがわかります。それだけ大きな作品にも関わらず、記録をたどると、広重はわずか2日から3日で幕の下絵から彩色までを行っているのです。しかもその間に芝居看板や屏風絵も制作しているのですから、すさまじい筆の速さとスタミナです。

舞鶴美果:うんうん!これだけの絵を完成させるのは、結構な労力だと思うな。

丸尾氏:当時を伺い知る面白いエピソードがあります。幕絵制作にやってきた絵師ご一行の甲州滞在中は、連日宴会や狂歌会、芝居見物など、招聘した側の甲州商人から大歓待を受けていたそうなんです。先ほど話した広重の旅の記録「甲州日記」に、甲府の皆さんの大歓迎ぶりが記されているんです。

舞鶴美果:ええええええッ!なんか、、、甲州の人、太っ腹すぎるwwwそれに。。。浮世絵師ご一行、絵を描いて町の人に喜んでもらって、お金ももらえて、大接待してもらって、芸術家冥利につきるというか。。。最高じゃない?!それにしても、依頼していた側の制作費の負担やら、滞在費の負担やらハンパなさそう。

丸尾氏:そう、それこそが豪商と呼ばれた甲州商人たちの祭りに懸ける熱意と言えますね。商売で稼いたお金を町の繁栄や賑わいのために使う。「甲府道祖神祭り」では、ここぞとばかりに趣向を凝らして贅を尽くし、町内ごとに競って有名絵師を江戸から招聘し、絵師による幕絵で甲府城下の一夜を彩るという、類を見ない独自の祭りに発展しました。

舞鶴美果:へ~、芸術を支援しながら街の賑わいに貢献するなんて、なかなかできることじゃないよね。。。ところで、浮世絵とか錦絵のような当時の絵画は掛け軸のように縦に長いイメージだけど、絵巻物みたいに横長って言うのがこの幕絵の特徴なのかな?町中で競うように幕絵があちらこちらに飾ってあって、町人がそぞろ歩きして見物するのかあ。。。ぽわーん。。。しばし想像の世界。。。当時の人たちにとっては、甲府に居ながらにして、映画とかスライドを見るように江戸名所を見て回るような感覚?でも浮世絵だから、あ!なんか現代に置き換えると、マンガ絵巻が町中で見られるような感じにも似てるかも。「甲府道祖神祭り」めっちゃ面白いこと、やっちゃってる!!!

丸尾氏:実は、当時の「甲府道祖神祭り」の様子をジオラマで再現しているものが、山梨県立博物館にあるんですよ。美香ちゃん、これを是非見てください!

舞鶴美果:わわわわ!すご~!ワイワイ賑わってる!老いも若きも、みんな表情が楽しそう!飾り物も幕絵も、情緒があるね~。こんな風景がこの甲府の町に繰り広げられてたなんで、いい町だね~。当時にタイムスリップして、江戸娘のコスプレで「甲府道祖神祭り」に参加したいな~。

丸尾氏:本当に、当時の祭りの賑わいが現代に残っていてもおかしくないのですが、残念ながらこの「甲府道祖神祭」は明治時代に廃止されてしまうんです。道祖神祭りは、その贅沢さなどから江戸時代にも度々禁止されてきました。しかし明治維新後の禁止令は、江戸時代のそれとは性格が異なったのです。明治政府は新しい近代社会を創り出すために、旧来の風俗習慣を廃止しようとしました。そして明治5年(1872年)山梨県によって「甲府道祖神祭り」は廃止され、ユニークな風習は歴史の中に姿を消していくことになりました。

舞鶴美果:あああっ。。。凹む。。。。そうなんですね。でも、幕絵はどうなっちゃったの?

丸尾氏:廃止令が出てしまったので、町内で保管していたものはしまい込まれて忘れられていったり、あるいは廃棄されてしまったり、後の甲府空襲で焼けてしまったとも言われています・・・。現存が確認できる幕絵は、山梨県立博物館が所蔵している二枚と、個人蔵の一枚です。

舞鶴美果:確かに、江戸時代から明治時代にかけて、日本は大きく変化したときですもんね。文明開化によって服装から振るまいから、すべて180度変わった時代。でも、この甲府や山梨県内に江戸時代から現代までこんこんと根付くすっごい文化があることを知って、感動したなあ~涙涙涙。丸尾さん、いろいろ教えてくれて本当にありがとうございました!

丸尾氏:こちらこそ、興味を持ってくれてどうもありがとうございます!今回お話しした幕絵や「甲府道祖神祭り」について、山梨県立博物館では、常設展示で詳しく皆さんにご案内しています。毎年小正月の時期には、現存する幕絵の実物を展示しておりますので、ぜひ山梨県立博物館に遊びに来てください。

舞鶴美果:ホント!ジオラマ見るだけでも、一見の価値があると思う!なんか、幕絵にわたしの大好きなマンガの原点を見るようだった!あ!これ、名言!そんで、帰ったらおじいちゃんに報告しなきゃ!

 

以上。

後編終了

取材日:2017年1月21日