舞鶴美果:ハロ~、みんな元気にしてた?
この前、お正月が終わってこたつでのんびりおじいちゃんと話してたら、面白いこと教えてもらったんだよね。「ああ、また今年も道祖神祭りの時期だなあ」って言うから「ん???どうそじん?…商店街のえびす講祭りなら知ってるけど、道祖神祭りって何?」そう聞いたら、おじいちゃんが「ほれ、昔美果が子供の頃、お尻のオデキを直しにちょくちょく岩下温泉に通ってたあそこじゃ。あの岩下温泉の橋の近くに丸い石が祀ってあるんじゃが。。。あれが道祖神だ。その道祖神のお祭りを、今も山梨県内の村々で開催してるんじゃ。もっと遡ると、江戸時代の甲府城下町は「甲府道祖神祭り」で大にぎわいじゃったそうだ。見てみたかったなあ、広重の描いたという幕絵。
「???まくえ?ひろしげ???どうそじん???」
「てか、私のオデキのこともう言わない約束でしょ!怒!」
よくわからなかった私はおじいちゃんに質問攻撃!あまりに根掘り葉掘り私が聞くから、根負けしたおじいちゃんが石和温泉の近くにある「山梨県立博物館」に行くことを勧めてくれたのよね。
というわけで、思い切って私は博物館にダッシュでwww向かい、学芸員さんに根掘り葉掘り聞いてきちゃった!今まで知らなかった山梨のカルチャーを知ったんだけど、人生がすごく面白くなったっていうか。。。地元愛がさらに深まったっていうか。。。とにかく、私が学芸員さんにインタビューしてきたので、読んでみて〜(切実っwww)
全2回・前編
舞鶴美果:こんにちは〜。今日は「甲府道祖神祭り」と「幕絵」について知りたくって、思い行きってきてしまいました〜。
山梨県立博物館学芸員丸尾様(以下、丸尾氏):美果ちゃんようこそ博物館へ!ことの経緯は先ほど聞きましたが、今日は「甲府道祖神祭り」と「幕絵」について聞きたいのよね?
舞鶴美果:はい!そうなんです!おじいちゃんが急に「どうそじん」とか「まくえ」とか「ひろしげ」とか言い出すんで、頭が追いつかなくて…丸尾さん、初歩的なことをいっぱい聞いちゃいますが、そもそも「道祖神」ってなんなんですか?
丸尾氏:日本には八百万の神がいると古くから信じられてきたのだけれど、そのような民間信仰の神の一つが「道祖神」です。道祖神の起源はまだ完全には解明されていないんだけど、実は山梨県は長野県や群馬県などと並んで、昔から道祖神信仰が盛んな地域なの。江戸時代には、「当国一大盛事」と言われるくらい道祖神を祀るお祭り「甲府道祖神祭り」が甲府の城下町で行われていたの。江戸時代に盛大なお祭りをやっていたことを考えると、その起源はもっと昔からあったのではないかという諸説もあります。
村と村の結界にお祀りして村の平和や安全を祈念し、守ってもらうような役割を「道祖神」は担っていた。
舞鶴美果:そ、そんなに前から?おじいちゃんが言ってた岩下温泉さんの近くで見た丸い石は「道祖神」って祀ってたんだ〜。そういえば、モモ狩りに行った時も車の中から見たかもしれない。。。あの丸いの。。。
丸尾氏:美果ちゃん、それはいわゆる「丸石道祖神」ですね。山梨県人は意外と県内を回っている中で道祖神を目にしているはずなんです。この道祖神は、時には丸石だったり、石の祠だったり、二人の神様が刻まれた石碑だったり、文字が刻まれていたり、藁で人形にした像だったり、木製の像だったり、地域によって様々です。村の境やちょっとした広場に道祖神を設置して、災いや悪霊を防ぎ、村の安全や平和を願ったと考えられています。また、道祖神は必ずしも村人を守る優しい良い神様とも限らず、厄病神との関わりを持っていたり、祀らないと災いを起こす恐ろしい神様であると言い伝えている地域もあるんです。現代と違って、昔は電気も携帯もなく村を自由に移動することも殆どない時代。村を取り巻く「道」は良いことも災いも運び込む通路であり、そんな道の交わるところや村境などは、神様や悪霊たちの世界である「異界」との接点であると考えられていました。このように、災いや悪霊をもたらさないことを祈って、あの世とこの世を繋ぐ結界(村境)に道祖神をお祀りする意味合いもあったようです。毎年1月14日には道祖神に村内を巡回していただき、道祖神と共に七福神や獅子舞、ひょっとこなども連れて賑やかに村を練り歩き、村人に福を授けたり、厄を払ったり、五穀豊穣、子孫繁栄を祈りました。それが「道祖神祭り」というお祭りです。
舞鶴美果:へ〜、だんだんおじいちゃんから聞いた事がわかってきたかも!さすが、丸尾さん!それで、今の甲府の商店街のあたりは、江戸時代はそのお祭りですごい賑わいだったの?
丸尾氏:そうです!山梨県内の小さな村々で脈々と受け継がれてきた「道祖神祭り」は江戸時代に、甲府の街でも大規模に行われていました。「当国一大盛事」つまり、甲斐国で一番大きなイベントと言われるくらいの祭りだったんです。甲府城下町には大きな商家も軒を連ね、経済的にも豊かであったことから、先ほどお話した村単位の道祖神祭りよりも、もっとエンターテインメント性に溢れるお祭りだったようです。町ぐるみで巨大迷路を作ったり、狂言芝居を開催したり、女装した男性がバンドさながらに楽器を演奏したり、市民が仮装大賞のように、扮装して人々を楽しませていたという記録も残っています。
舞鶴美果:エンターテインメント!?コスプレしたり、なんかフェスみたいな感じ〜。超たのしそうなイベントが、甲府の街で展開されてたなんて?!
丸尾氏:この甲府道祖神祭りで人々の祭りに対する意気込みが最も感じられるのが「幕絵」なんです。
舞鶴美果:あ!おじいちゃんが言ってた「ひろしげのまくえってやつですか???」
丸尾氏:そう、甲府町人たちは江戸きっての絵師、歌川広重(初代安藤広重)をわざわざ甲府に呼び寄せ、甲府道祖神祭りのために、巨大な絵を描かせたのです。広重といえば、江戸末期に活躍し「東海道五十三次」を生み、フランス印象派の画家やアール・ヌーボーの芸術家たちに大きな影響を与えたとされる、世界的な絵師です。もちろん、広重以外にも、有名な月岡芳年や芳虎といった江戸の有名絵師も描いていたことがわかっています。
舞鶴美果:え〜っ?そんな超有名人、よくぞ甲州に絵を描きに来てくれたよねwww それに、当時は江戸(東京)から甲州(山梨)に移動するなんて簡単なことじゃなかったでしょ?
丸尾氏:美果ちゃん、おっしゃる通り、鋭い!このお祭りの開催と幕絵制作には、とんでもないお金と当時の甲府町人の熱意が注ぎ込まれていたんです!
舞鶴美果:でしょ!?だって、学園祭にお笑いタレントさん呼ぶのも結構大変だもんwww
丸尾氏:そう、この江戸時代に大変賑わった「甲府道祖神祭り」の運営と幕絵制作は、甲州の豪商たちの財力のなせる技なんです!
舞鶴美果:うわっ!なんか豪商って言葉、すごいね!めっちゃ続きが気になるけど、、、今回はここまで。次回の連載で、甲州商人の祭りに対する熱い思いと幕絵ってどんなものだったのか、あ、あと、なんで今はやってないのかも知りたいです」!
丸尾氏:はい、では続きは次回。エリちゃんの疑問に答えていきたいと思います。
前編終わり。
取材日:2017年1月21日